「超訳吉田松陰語録」斎藤孝著
一読して得たものは何だろう。
最後まで飽きることなく読めたのは良かった、自分と重ね合わせることもできたし為にもなった。でもそれは表面をただ気持ちよくさらってみただけのこと、その言葉の真意に迫ったという実感が残っていない。
例えば、志とは、素志を持つとは、アイデンティティを持つとは。冒頭からサラッとは読み説けない知の領域があった。いきなりそこに投げ込まれても泳ぐに泳げない、いや泳げるはずと葛藤が始まる。
松陰が生きた時代と今とでは時代背景も異なってくる。形骸化した組織に拘らず、個性を主体に生きる現代に松陰の思想を組み込むとどうなるだろうか。ただ、読んでタイムスリップしただけでは、明確な答えを出す事はおろかイメージすら涌いてこない。
以前に読んだ「孤独のチカラ」(斎藤孝著)では、浪人生活を経験し同級生に先輩ずらされ屈辱を味わった経験談が滾々と語られていた。斎藤氏は、明治大学に職を得るまでの十数年間を暗黒時代と語る。何の苦も無く階段を昇りつめた人という印象を持っていたから、そのギャップに驚かされ、僕は今もこの本を手にすることがある。
今回、斉藤氏の著書を通じて松陰の思想に触れ、新たに問いを投げかけられたような、「知の領域へようこそ」みたいに言われているように感じた。正直、悔しい気持ちもどこかにあるのだけど、行間を読み解かずしてサラッと流したらもったいない本である。
引いたアンダーラインの箇所だけパラパラと読んでみる。何を思ってここに引いたのか、大切な部分は別にあるのではないか、どうやら、読み返す動機も十分整ったようである。
語らずとも、こういった行動を変えていく力を松陰は内に秘めているのかもしれない。という事で、この本も身近に置いておくことにした。



